ご報告です。

この度、新しい命を授かる事ができました。
結婚10年目、子供がほしいと思ってから7年が
経過し遂に願いが実りました。

私にはすでに4才の息子、ディーンがいます。
2011年に特別養子縁組という道を選択をし、
我が子となった愛しい息子です。
ディーンは毎日、私たち夫婦に生きる喜びを
教えてくれくれます。血が繋がっていなくても
自分の愛する子供に変わりはない。今も、
これからもずっとその想いは一緒です。
ディーンと正式に家族になった日は心が喜びだけで
満たされたのを鮮明に覚えています。
あの日の事は一生忘れません。

この妊娠は、そんなディーンと家族になった日と
同じくらいの喜びの気持ちでまた心が満たされています。


正直に言うと、今回私は半分あきらめの気持ちで
不妊治療に挑みました。2010年の日本での
治療がうまくいかなかった事もあり、期待しすぎて
結果が残念だった時にダメージが大きいと
知っていたからです。
「最初からそうなるべきではなかったんだ」と、
自分に言い聞かせることでしか納得できない現実を
受け入れる自信がなかったのです。


私の今住んでいる国ニュージーランドでは、
必要条件をクリアできれば無料で受けられる不妊治療。
待ち時間に1年と3ヶ月を要しましたが、私たちに
その機会は与えられ、ようやくその時がやってきました。
私と夫の体には特に問題がなく、それでも自然妊娠がこれだけ
できないという経験と、日本での治療資料をお医者さんに見せ
たところ今回顕微授精という一番高度な治療方法を行う
機会を与えてくれました。

治療中はポジティブな自分と最終的な結果を恐れている
自分との戦いでした。でも、「やれることはやった」
そう思えるだけで良いかなと考えていました。
あまり深く考えずに、自分のしたい事も
きちんとして、ゆっくりとした気持ちで
治療生活する事を心がけました。

ニュージーランドでは自宅に治療用の注射を
持ち帰り、自分、もしくは家族が打ちます。
座っていながらでも倒れてしまう程注射が怖い私にとって
治療中の一番の耐えどころでした。合計13本。
自分で打ったのは3本でしたが、毎回40分以上針との
睨め合いっこでした。

採卵し移植まで生き延びた受精卵は日本での治療の時と同様
一つだけでした。たった一つの受精卵に賭ける形となり、
私は少し落ち込んでいました。今回がダメだったら、後が
ないかもしれないと心配でした。でもナースの方は
「たった一つでも妊娠する方はいるのよ。あきらめないで」
と慰めてくれました。お医者さんも気さくに声をかけてくれて
緊張をほぐしてくれました。

採卵の時と受精卵の移植では夫とディーンが同じ部屋に居てくれて
励ましてくれました。

そしてー

女性として生まれてきた意味はあったのだろうかと
ずっと悩んでいた私が今回の結果を知った時、
喜びよりも驚きでいっぱいでした。
まさかこの私が妊娠できるなんて、、、。
本当に?お腹にいるの??
ただただ驚くばかりでした。


電話口で良い結果を知らせてくれたナースの方の声は
きっと忘れないですし病院のスタッフの方たちの優しさにも
本当に感謝しています。私の親戚や家族。心から
みんなにありがとうと伝えたいです。


実はまだ安定期には入っていません。
今後何か、問題が出てくるかもしれません。
今成長しようと頑張っているお腹の子の
運命は分かりません。それでも、
今まで応援の言葉をかけてくださった沢山の方々
そして「不妊」という、辛く長い道のりを経験している
かもしれない人がこの文章を読んでいたとしたら
少しでも私の経験を知って何かの力に
なれればという想いで記しました。

ご報告、少し長くなってしまいましたが
最後まで読んでくださってありがとうございます。


今、日本では雪が積もって大変な地域もありますね。
運転や歩く時、怪我のないようみなさん
気を付けてくださいね。オリンピックの中継は
ケーブルテレビでしか観る事ができず、、、。
なるべく毎日ニュースで結果を観ています。
日本のみなさん、
これからの活躍も応援しています!!

それでは、また!
Joelle